――外国から見た日本と、言語の本当の役割

はじめに:ランキングに振り回されないために

※この記事は、英語学習を始める人・続けている人の「考え方の整理」を目的としています。

友人から先日、「日本人の英語力が過去最低ランクに転落した」というニュースのリンクが送られてきました。※2025年は96位
(EF英語能力指数(EF EPI)のわかりやすい説明はこちらをご覧ください)

「うわ、日本終わった」と思いましたか?
私は率直に言って、「また不必要に騒いでいるな」と思いました。

この記事で伝えたいこと

すごく長い記事になるので、先に結論を書きます。

日本大好き

日本はあらゆる意味でユニークな文化を持っていて、そこに価値がある。グローバル基準を参考にするのはいいけど、あわせる必要はないし、そもそもあの類のランキングは作った国が有利になるようにできているのであまり意味がない。

これは私個人の意見です。正解かどうかは分かりません。でも、こういう視点で話すと、グローバル主義やランキング競争に疲れた人(日本人・外国人両方)から賛同されます。

この記事は英語力の話ではありません。日本が世界からどう見られているかという話です。そして、その認識の背景には、言語の本当の役割が隠れていると私は考えています。

なぜ私がこの話を書くのか

私は、英語発音矯正の専門家であり、ブランド戦略の研究者として海外で発表したり、海外の研究者と共同研究を行ったりしています。

そんな立場からこの記事を書くのは、単純に「日本が好きで、日本のすごさを知っている」からです。

世界では、日本はしばしば褒められ、羨ましがられています。それなのに、日本人自身が日本を卑下したり、過小評価している現状を見ると、とてももったいなく思います。

もちろん課題はあります。
しかし、日本には世界に誇れる素晴らしいものがたくさんあります。
それをしっかり認識して毎日生きていると楽しいしやりがいが出るし、英語を勉強する動機づけにもなります。
増税ばかりで可処分所得が減って「こんな国もう嫌だ。海外にでも逃亡したい」と思っている人もいるかもしれませんが、まずは日本が海外からどんな風に見えているのか。日本に旅行に来て一部だけを切り取って知っている外国人の目線ではなく、日本を割とよく知っている外国人はどう思っているのか。

マーティ・フリードマンが語る「日本という宝箱」


そんなことを考えていた折、日本在住歴20年超で日本語がペラペラなスーパーギタリスト、マーティ・フリードマン(元メガデスのギタリスト)がとても良い話をしていたので、紹介します。

世界的ミュージシャンの記者会見

2024年11月25日、丸の内の外国特派員協会(通称プレスクラブ)で、マーティが自著のPR記者会見を開催しました。

マーティ・フリードマンと女性がFCCJのステージでポーズをとっている写真
マーティと記念撮影してもらっちゃいました❤️

当日は参加者が少なく、「世界的ギタリストのマーティが間近で見られて話も聞けるのに、その価値がわからないなんて!」と残念に思ったものです。

日本では、空耳アワードのコメンテーターや、「日本語がペラペラな変な外人」と見られることもあるかもしれません。しかし、マーティ・フリードマンと言えば、ロックファンなら泣いて喜ぶスーパーギタリストです。そのギターテクニックだけでなく、メタル、演歌、J-POPまで融合させてしまう才能と懐の深さは、世界でも稀有なレベル。

外国人観光客が見る「表面」と「中身」

多くの外国人が驚く日本の特徴といえば、

  • 公共交通機関が時間通りに運行する
  • マナーが良くサービス精神が高い
  • 公衆トイレが綺麗
  • 物価が安い
  • 特徴的な食文化
  • 治安がよい
  • 自動販売機が多い
  • コンビニが至る所にある

もちろん、どれも本当です。
しかし、ここで大事なのは、これらは観光客でも触れられる表面の話であるということです。

「宝箱の中身」を見るために必要なもの

マーティの見解が面白いのはここからです。彼はこんな風に日本を評価しています。

日本は宝箱のような国。
観光では表面的な体験しかできないが、言語を学ぶことで、本当の日本を理解できる。

マーティが観察した日本の特徴(抜粋):

  • 日本人は世界でも外国人を歓迎し、おもてなしの精神がある
  • 他国とは異なる、独特の調和のとれた社会システムがある
  • 外国人でも自然と礼儀正しくなる環境がある
  • 個人よりも全体の調和を重視する文化がある
  • 「空気を読む」という独特の社会概念がある
  • 「おもてなし」はサービスではなく、思いやりそのもの

これらは、単なる「日本スゴイ話」ではありません。日本語ができる外国人が、外からではなく中から見た視点だからです。


文化との距離感:自分らしさを失わない

「法被を羽織って尺八を吹いて富士山に登るような人間」じゃない

突然ですが、「法被を羽織って尺八を吹いて富士山に登るような人間」を見たことがありますか?

これはマーティのインタビュー記事に出てきた表現です。まさに比喩の極みですが、その言葉が示すのは、異文化への過剰な同化願望ではなく、文化を理解しつつ自分自身でい続ける視点です。

マーティのインタビュー
https://suumo.jp/town/entry/shinjuku-marty_friedman/

マーティはこんな風にも言っています。

よく「日本が好きな外国人」といえば「サムライとか禅とか漢字に詳しい人」というイメージがありますが、僕は法被を羽織って尺八を吹いて富士山に登るような人間じゃない。もっと言うと、「自分はガイジンだ」という感覚すらほとんどないのかも(笑)。

この一言は、一見面白発言のように聞こえますが、「文化との距離感」に関する鋭い洞察を含んでいます。

外国人として生きること:完全に日本人になれない。でも、それでいい

マーティは「外国人であること」についても冷静です。

  • 完全に日本人になることは不可能だが、それは悪いことではない
  • 外国人としての視点を活かしながら、社会に独自の貢献ができる
  • 日本語が完璧でなくても、その努力自体が評価される
  • 日本人が気づかない文化の良さを指摘できる立場にいる
  • 外国人としてのアイデンティティを保ちながら、日本文化を理解し尊重することが重要
  • 自分らしさを失わずに、日本社会との調和を探ることができる

これは、単なる語学上達云々の話ではありません。言葉ができるとその社会を理解したり、本当の意味での文化と心の交流ができるのだということを表しています。

理想的なノンネイティブの外国語レベルとは

マーティの日本への見方から、私が感じたことは、「ネイティブみたいに完全に同化する」ことがゴールでではないということです。でも「外側から眺めるだけ」でも、もったいない。

言語を学ぶと、宝箱の中身が見えてくる。そして外国人としての視点を持ちながら、その社会の一部になれるし、その国の人にはできないような貢献ができる。
この考え方は、英語の流暢さ(Fluency)についての議論ともつながります。

英語の流暢さについてはこちらも参考にしてください:

年の始まりに考える、英語学習の意味

この記事を書いたもう一つの理由

今回この記事を書いた理由は、もう一つあります。

それは、一年の最初に「今年こそ英語学習をがんばろう」と思っている日本人に、少し違う角度からのヒントを届けたかったからです。

英語学習というと、「ランキングで何位か」「ネイティブレベルか」「できている・できていない」といった評価軸に、どうしても引っ張られがちです。

でも、年の始まりだからこそ、「なぜ学ぶのか」「学んだ先に何を見たいのか」を一度立ち止まって考えてみるのも悪くないと思いました。

1月2日のライブで、改めて感じたこと

そしてもう一つ。2026年1月2日、私はマーティ・フリードマンのライブに行きました。

そこで改めて強く感じたのは、マーティのような世界的ギタリストが、日本を選び、生活と音楽活動の中心にしてくれているという事実です。

↓アメリカでのマーティライブ動画。天城越えを演奏して大受け↓
マーティはあまりにも日本人化しすぎていて英語を話していると「マーティって英語話せるのか」と思ってしまいます。ファンの間では「マーティは英語が上手ですね」とコメントするのがお決まりジョークになっています。

マーティは、たまたま日本にいる外国人ではなく、意志を持って、日本という国を選び続けている人なのです。世界的なギタリストとして尊敬と支持を一身に集めているマーティが日本を拠点にしている。

ライブを観ながら、

  • 感動と同時に
  • 感謝の気持ちが湧き
  • そして、この国の国民でよかったなと、心から思いました。

英語学習は、自分の国を再発見するためでもある

英語を学ぶことは、単に海外に出るためでも、ネイティブに近づくためだけのものでもありません。
外国の言語を通して、自分の国を少し違う角度から見直すことでもあります。

マーティの言葉や姿勢を見ていると、言語とは「外に出るための道具」であると同時に、自分が立っている場所を、より深く理解するための道具なのだと感じます。

おわりに:「中身が見える言語力」を目指して

英語力96位だの、何位だの。そういう話は、これからもたくさん出てきます。

でも、言語って本来は順位を競うためのものではありません。世界や文化を中から見るための道具です。

そして、日本は(マーティの言葉を借りれば)宝箱です。外から眺めるだけで終わらせるのは、あまりにももったいない。

ノンネイティブが目指す理想の外国語レベルとは、「ネイティブになりきること」ではなく、自分の視点を持ったまま、その国を理解し、対話し、関われる状態。

それが、本当の意味で価値ある言語力だと思います。

年の始まりに、こんな英語学習観もあっていい

もし今、

  • 今年は英語をがんばろうと思っている
  • でも、どこをゴールにすればいいのか迷っている
  • ランキングや比較に少し疲れている

そんな状態なら、「言語で世界や文化を中から見る」という視点を、今年のどこかに置いてみてください。英語学習は、自分を卑下するためのものでも、他人と比べて落ち込むためのものでもありません。
世界を広げると同時に、自分の立っている場所の価値を再発見するためのものでもあります。
そんな一年の始まりのヒントになれば嬉しいです。

「この人が言っていることだったら聞いてもいいな/やってもいいな」と思える人が見つかればそれが最強です。