若い人にはあまりピンとこないかもしれませんが、私の世代の人間で後藤久美子さんを知らない人はいないはず。セレブだとかなんだとか、色々余分なことで騒ぎ立てられていますが、本人は飄々としたものだと推測します。
ご本人の著書に書いてあったことによれば、10代でドラマに写真に引っ張りだこだった頃、彼女は早々に海外へ行くことを視野に入れて、英会話を習っていました。そして、仕事やなんかよりも、英会話を優先していたと言い切っています。
「仕事なんて、いいんだから、英会話の方が優先。それで仕事がなくなっちゃうっていうのなら、それだって全然構わないんだから」というようなことを言ってて「自分でも随分生意気だったなあ、と思った」と回顧していました。
その目標の明確さ。意志の強さ。そして、実行できる力。
私は彼女のように10代の頃に英語やろうなんて早い決断はできませんでしたが、社会人になって数年してから、絶対にこのどうにもならない人生をどうにかするぞ、と思って唯一アクセス可能でやり方が朧げながらわかっていた英語の勉強に着手し、そこからやめずにここまで来ました。
周りから小馬鹿にされたりもしましたが、意志は固く、決してやめませんでした。それくらいしか人生の突破口を見出せる気がしなかったし。
というわけで、明確な目標、意志の強さ、実行力という点で後藤久美子さんの英語力構築にはなんだか親近感を勝手に持っているというわけです。
最近は芸能人の英語(インタビューやなんかでたまたま披露したものなど)を取り上げて、やれこの人がうまいだの下手だの、発音がネイティブ並みだの、下手くそだのと論評し、その論評動画に対してまたコメントを被せる人がいますが、要するにみなさん有名な人の英語力に興味があるってことなんだと思います。
上手い下手、特に発音については声に対する好みとか、その人が「ネイティブライクだ」と思っている英語の雰囲気が人によって異なるので、私は「いろいろな意見があるんだなあ」くらいにしか思ってません。
また、感じが悪く聞こえることを重々承知で書きますが、多くの日本人(特に英語に対する英語的な感覚があまりない人)が「ペラペラだ」「ネイティブライクだ」と思っている音やイントネーションは、間違ったイメージである場合が多いです。
だから、これまた感じ悪い言い方で恐縮ですが、当てになりません。
味音痴の人によるレストラン評論みたいなもの、いや、本物の寿司を食べたことないエセ和食通の外国人による寿司論評みたいなものとでも言いましょうか。
そういう人を馬鹿にしたり、見下そうと思って書いてるんじゃなくて、ちゃんとした発音やイントネーションを出す力がない人が持っている発音やイントネーションに対する感覚は、ずれているのだ、という事実を伝えたいだけなのです。
私はノンネイティブのグローバルイングリッシュ(共通語としての英語)としてのクリアな発音やイントネーションを基準にしていて、教える時も、自分が話すときもそうなので、いわゆる英語に憧れている日本人が好きな「ネイティブライクな発音」や「ネイティブっぽいペラペラさ」はやりません。
以上が、私が持っている英語の音に対する感覚ですが、そんな感覚を持つ私が思うに、おそらく後藤久美子さんの英語はネイティブライクではないけど、そこそこ英語らしくて、とてもクリアでわかりやすい英語を話すのではないかと思います。彼女が英語で話している動画などが見つからなかったので、推測ですが。フランス語や、おそらく他のヨーロッパ言語もいくつか話せるはずなので、文法の基本的な骨組みは習得して、そこそこ正しい英語を操っていると思われます。
芸能人とか、誰か目立っている人の容姿や英語力などを批判する暇があったら、少しでも自分がそういうものを手に入れるための工夫や努力をする方が健全です。人の批判なんてしたって、何一つ手に入らないし、気分が悪くなるだけ。私は羨ましい人も、苦手な人、嫌いな人も、観察の対象にして、すごいと思うところ、いいと思うところはできるだけなんでもパクってしまいます。
その方が、結局自分が得をするのです。
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