ローマで開催の国際学会で無事に発表を終えた際の話です。
レベルとか完成度とかはともかく、何事も繰り返して慣れることが大事である、と実感しました。
海の向こうで色々初めてだと、ビビる必要ない小さなことでいちいちビクビクするので、余分なエネルギーを使いますから。
国際学会は、パターンがほぼ決まっているし、もはや日本もアカデミック引きこもり(鎖国)を決め込んでやり過ごすのは無理な状況になってきていますから、世界の中で生き残りたいのならば、「十分練習して準備できてから」なんて言ってないで、早いところ一度経験したほうがいいです。
国際学会のすべてがわかる本や情報なんて存在しないし、国内で練習できる場所なんてないし、教えられる先生もいないので、「練習してから」は不可能です。あきらめてください。
この時の発表は、練習不足に反省点はあるものの、まあどうにかできたし、聴衆も頷きながら聞いてくれたので、反応は悪くなかったと思いますが、質問が出なかったので、それが残念かつ、反省点でした。
私をはじめ、多くの研究者が国際学会に参加する目的は、もちろん海外で英語で(外国語で)発表するという経験をするためではありません。世界中から集まった、多様な価値観を持つ研究者からの意見を聞いたり議論したりして、脳みそを刺激し、自分の研究を発展させる糧を得るために来ているのです。
ですから、質問や議論が起きないという事態は、由々しき問題なのです。
気持ちはわからなくもありませんが、よく「英語で発表したけど、無事に質問も出ず終えることができました。」と安堵顔で言う人がいますが(日本で)、それ、無事じゃないです、失敗してますから。
あと、よくいるパターンが「なるべく質問がでないように、プレゼンに全部盛り込んで持ち時間もめいいっぱい使い切って逃げ切るつもりです」というやつ。個人の好みの問題ですから止めませんが、それはまるで「舞台には上がるけど、踊ってるのが目立たないように黒子の格好をしていくつもりです」というのと同じです。
学会発表では、何とかして質問や意見や提案をもぎ取りましょう。
セッション(トラック)内でやらなくても、休憩時間やディナーパーティーでやっても構いません。
ちなみに私は、今回座長(チェア)からも質問や意見が出なかったので研究内容がつまらなかったのかと不安になり、学会の実行委員長の1人に直接意見を聞きました。
この教授は、すごいやり手の韓国人教授で、何歳かわかりませんが(60くらい?)やたら元気で好奇心旺盛で暖かい女性なので、ランチタイムにへばりついて色々話をしました。というか、あちらから話しかけてくれました。
日本人で女性でリピーターは私くらいのものだし、去年の発表見て興味を持ってくれていて、何百人という研究者からの投稿がある中、私の論文をちゃんと読んでくれていたみたいです。大きくはないけど、ちょっと、考察手法に穴があり、それを指摘されましたが、ちゃんと読んでくれてたことがわかって感激。
発表とセッションの雰囲気はどうだったか聞かれたので、「普通、座長からは少なくとも一つくらい意見や質問があるのに、何もなかったから私の研究つまらなかったのかも」と言うと、「そんなはずは絶対ない。貴女の論文読んだから間違いない」と言われました。
座長の名前を聞かれたのでプログラムを見せたら、「ああ、彼は座長やるのはじめてだから、何かしら質問やコメントをするっていうカルチャーを知らなかったんだと思うわ。安心して。」ということでした。
普段彼は査読を凄く丁寧にしてくれるから、信頼して座長を頼んだんだそうです。
セッション終わってから意見を聞きにいけばよかったなあ、惜しいことをしました。
この記事はアメブロ人気投稿の再編・再掲です。